2010年2月16日
スペインの政治
政体は立憲君主制(議会君主制)。かつてはフランコによる独裁政権だったが、1975年に王政復古し、現在は民主化されている。国王は国家元首であり、国家の統一と永続の象徴と規定されており、国軍の名目上の最高指揮官である。議会の推薦を受けて首相の指名を行なうほか、首相の推薦を受けて閣僚の任命を行なう。
議会は2院制であり、代議院(下院)は定数350議席で4年ごとの直接選挙で選ばれ、元老院(上院)は定数259議席で208議席が選挙によって選ばれ、残り51議席が地方自治体の代表で構成される。2009年現在の与党はスペイン社会労働党で、国民党と共に2大政党制を構成する。その他には、カタルーニャやバスクをはじめ地域政党が存在する。
国際関係
1986年のEU加盟以降、EUの一員として他のEU諸国との関係が密接になる一方、旧植民地であったラテンアメリカ諸国との伝統的友好関係も非常に重要となっており、毎年スペイン・ポルトガルとラテンアメリカ諸国の間で持ち回りで開催されるイベロアメリカ首脳会議にも参加しているが、ラテンアメリカにスペイン企業が進出し過ぎていることから一部には、ラテンアメリカに対するレコンキスタ(本来はイスラム教徒に征服された国土の回復運動だが、ここでは文字通り「再征服」)であるという批判もある。また、特に南部アンダルシア地方にイスラム文化の影響が非常に強く残っていることなどもあり、他のEU諸国と比べるとイスラム諸国との友好関係の構築に比較的積極的であるといえる。
スペインはアフリカ分割では僅かな役割しか果たさず、西サハラとスペイン領モロッコ、赤道ギニアを獲得しただけだった。モロッコでのリーフ戦争で大損害を出し、国王の権威は更に低下した。ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍の軍事独裁政権(1923年 - 1931年)を経て、1931年にアルフォンソ13世が国外脱出して君主制が崩壊し、スペイン第二共和政が成立した。共和国はバスク国、カタルーニャ州そしてガリシア州に自治権を与え、また女性参政権も認められた。
だが、左派と右派との対立は激しく、政治は混迷を続け、1936年に人民戦線政府が成立すると軍部が反乱を起こしスペイン内戦が勃発する。3年に及ぶ内戦はナチスドイツとファシストイタリアの支援を受けたフランシスコ・フランコ将軍が率いるナショナリストが勝利した。この内戦によってスペインは甚大な物的人的損害を被り50万人が死亡 、50万人が国を捨て、社会基盤が破壊され国力は疲弊しきってしまっていた。
フランコが結成したファランヘ党(1949年に国民運動に改称)の一党独裁となり、党は反共、カトリック主義、ナショナリズムを掲げた。第二次世界大戦ではフランコ政権は枢軸寄りではあったが中立を守った。
第二次世界大戦後、ファシズム体制のスペインは政治的、経済的に孤立し、1955年まで国際連合にも加入できなかった。だが、冷戦の進展とともにアメリカはイベリア半島への軍事プレゼンスの必要性からスペインに接近するようになり状況は緩和した。1960年代には「スペインの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
スペインの政治にはフランシスコ・フランコが大きくかかわっています。
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